無冠の父

今、読み終わった。
阿久悠の「無冠の父」
何か自分の父に対する想いを、書かれている事象と重ね合わせ「うん、そうだったな~」と思い出したり、改めて考えたりと普段にはない特別な時間が持てた本であった。

普段考えることのなかった「おやじと自分」。
私の父は無学(小学校もろくに行けなかった)であったようでとても苦労:努力して生きてきたそうだ。そんな昔のエピソードは後々大人になってからぼつぼつ聞き知った。いやあ真似できないよね凄いなと思い聞きました。
おかげで私たちはなんとか人並みの生活送ることできたわけだ、まさに感謝、感謝なのだ。
なのでこんなこと言ったら罰当たりなのだが、小学生であった頃の我が家にはいつも緊張感のようなものピンと張りつめたものが漂っていた。
余裕の様なものが無い、そこには「団らん」とか「父に甘える」というような状況が入り込む余地はなかった。
それが良いのか不幸なのかわからないが、現代の状況とはおよそ違っていたことは確かだ。
まあ戦後って大なり小なりどこもこんなものであったろうし、生きていくことだけで皆精いっぱいな時代であった。
ただ、そのなかであっても、私は悪ガキよろしく面白く生きてきたのだが。

この本のなかでこんな一説がある。
「迂かつにも私は、「父」に子供時代があり青春時代があったことを忘れていた。この世に生を受けてからずっと、あの顔で、あの性格であったと思っていた。大体、子供が見る親とは、そういうもので今も昔も親であったと思っているとろがある」

本当にそうなんだよな、私も「父」という存在は自分たちとは違う特別であり絶対的な存在と思っていた。

とろで、
私は子供から見たら
どうなのだろうか?

一歩 前に進んだ感じ

 昨日、休憩なしでの4キロ歩行。
さて、今日もできるか?
不安で迎えた本日 1月5日。
今日は図書館の往復に挑戦しました。

結果:概ねOKでした。

距離は往復3.6キロメートル、普通の人の足で歩くと40分。
私が歩いた結果は50分でした。
以前の様な腰回りの苦痛はありませんでした。


さて良くなった要因は何か?
ストレッチでやった「腰のぐるぐる回し」だろうか?
骨盤が安定したように感じているので、そうじゃないかなと思う。
何れにしても万々歳である。

よし、これで踏ん切りがつきました。
・整骨医院への通院は中止します。
・堀川病院の整形外来の診察も中止します。
なんとなく、胸のつかえ取れ、
一歩前に進んだ感じがする。

やった、やったぜ!

初めてだ、4キロ強を
一回も休まず完歩しました。

日にちは、1月4日
時間は午前10:00出発
天気は曇り霙まじり
コースは「南は堀川御池までの往復」「北は堀川今出川までの往復」
全長:4.5キロメートル
歩行時間:1時間10分


今日も入念にストレッチ準備運動をすませ散歩に出発。
歩き始めは、また今日も腰が辛くなるのかなと暗い気持ちで歩き始めました。
とろが、ところがです。
本日の異変に気が付き始めたのは5,6分歩き始めた頃のことでした。
「おや? 腰が軽いぞ:なんだ、なんだ!」
いつになくすいすい歩けている自分に驚き始めました。
背筋をまっすぐ保持することに抵抗がないのです、骨盤に背骨がしっかりはまっている感じがしました。
よしっ!と思い、途中休憩を一回も取らず完走しました。

はじめて、はじめてです。
この休まず1時間歩けたことが、しかも腰回りに違和感を感じなかったことが。
ただ気になることはあります。
なぜ今日、楽に歩けたのかその要因が解りません。
今日はただの偶然だったのか?
ということは、明日はまた元に戻ってしまうのか?
少々不安な浦島太郎の心境で
明日を迎えることとなりました。

 

戦友を悼む

いきなりですが
IPodが壊れました。

私が今までに購入したIPodは3台。
本日壊れたのは2台目。
かれこれ10年ぐらい連れ添ったかな
頼りになる戦友でした。

どんな優秀なものも歳には勝てない。
6千曲を従えたIPod君、
今、画面を黒く閉じ、役目を終えました。

お疲れさまでした。

影薄い 誕生日

本日は1月2日、
年度は2018年でございます。

今年は何事もなく、誠に穏やかにのんびりとお正月を迎えております。

時にうちの奥様は、昨日が誕生日でした。
71歳であります。
そう、元旦が誕生日なんです。まあ、目出たいちゃあ お目出たいのだが。
誕生日としての独立性に弱いのがお気の毒。
つまり、誕生日が正月に隠れ影が薄くなってしまう宿命にあります。
元旦にクリスマスケーキ、これもなんとなく・・・・ですよね。
プレゼントも用意しにくい時期です。
さすがに本人は割り切っているようです。

4月の私の誕生日に一緒に祝うことを恒例にしています。

俺は 俺。「あるがまま」

本日は、12月31日。
そう、大晦日です。
だからって、私は良くも悪くも変わらない、常と同じ。

うちの奥さんは、恒例の娘との親睦に出かけた。
先ずは、すし屋で一杯ひっかけ、今年1年の労をお互いにねぎらい。続いてお買い物。
これが例年のお決まりなんだとか。

私は今年1年を振り返ってみると、「腰の事で悩みもがき苦しんだ1年」であった。
「どうなってんだ、俺に恨みでもあるのか」状態であった。
実に情けない。
てなわけで、もうやめます。
年賀状に書いたように「なりゆきに 寄り添い」で、自分に付き合って生きていこうと考えている。「こうでなければならない、こうあるべき」的な張り切るのをやめます。
なんか虚しいし、しんどい。

来年からは、
「もちっと 楽に楽に」にやります。

転がる石

先日、図書館で借りた2冊の本。
阿久悠の「転がる石」と「無冠の父」。

早速「転がる石」から読み始めた。
なかなか面白い、私はすきです。
小豆島の高校生・青雲草介は同じクラスで異彩を放つ赤井とともに憧れの東京へ。戦後日本と一緒に走った著者による自伝的青春小説。
まさに「昭和の青春が鮮やかに甦る!」っていう感じ、自分の過ぎし若き日を思いだしながら、読み進めている次第。

私は阿久悠氏の人生感、生き方など同感する部分が多い。
まっ、しかし昭和だな~、昭和だよ。

ついでに検索していたら、
なんと同名の歌まであることを知った。

早速YouTubeで聞いてみると、これまた良いんですよ。
実は私、演歌好き。
ちなみに詩をちょろっと紹介すると、

歌手:石川さゆり
作詞:阿久悠
作曲:杉本眞人

「十五は 胸を患って
咳きこむたびに 血を吐いた
十六 父の夢こわし
軟派の道を こころざす
    
十七 本を読むばかり 
愛することも 臆病で
十八 家出の夢をみて
こっそり手紙 書きつづけ

転がる石は どこへ行く
転がる石は 坂まかせ
どうせ転げて 行くのなら
親の知らない 遠い場所」

と続く。
「苔むさぬよう、何時までも転がる石のように」だってさ。
ちょっと古臭いですか?
でも好きなんですよ。