豊臣秀吉 【 聚楽第の跡地 】

表題どうり たまたまなんですが、私の住んでいる地域は、
安土桃山時代に、関白となった秀吉が自分の権力を象徴する絢爛豪華な
お城を建造した場所だった。
今現在は取り壊され、まるきり跡形もないのだが、NHK大河ドラマ
軍師官兵衛」の最後の歴史跡の紹介のコーナーを見てしりました。
えっ、この辺に「聚楽第」があったのかと知ると、現在ではなんの
変哲もない地域なのだが、なにか、私が特別な処に住んでいるような、
変な優越感にも似た気分になってしまいました。
バカですよね。
確かに、京都は市内を注意して歩いていると、いたる所に石碑がたっています。
歴史好きな人には自然に史実の勉強してることになるので、
憧れの地なんでしょう。

大変豪華な造りだったようですが、わずか約10年位で取り壊して
しまったようです。
しかも途中からは、秀吉は義理の弟の秀次に関白の地位を譲り、
この聚楽第に住まわせたとのこと。
しかし秀吉に実子の秀頼が誕生すると、秀吉は秀次を追放し、
破壊してしまったのです。
しかしもったいない事をするもの、無駄にも程があるっていう気がします。
しかも秀次を高野山に追放して、切腹させたそうです。
そう考えると、呪われた地域ともいえます。