悪ガキの懺悔 ⑤

今だから話せる
【夏祭りの 切ない想い出】

今回は私の幼児期の、ちょっと切ない「マッチ売りの少女
的な「胸キュン」の想い出。この頃(昭和30年)はどこの家庭も、
とにかく貧しかった。
我が家も、食べるのには困らなかったが余裕と云えるゆとりはまだなかった。
日本は戦後復興に向け、皆 がむしゃらに働き生きていた。
確かこの後「高度経済成長」といわれた時代がくるんじゃなかったかな。
ちなみに、親父は小学校もろくに行けず、丁稚奉公からのたたき上げ。
その親父と、あまり会話をした記憶はない。
とにかく家族のため、必死に生きている「おやじの背中」を見て育った。
怒られた記憶は少ないが、寡黙で実直な印象を持っていた。

そんな時代の数少ない楽しみは「お祭り」である。
川越の浅間神社の「夜店」に家族で行く事であった。
私にとっては数少ないイベント。
もう昼間から現地に行き、下調べには余念がなかった。
ついでに「悪ガキ」ですので、道に生える草を結んだ仕掛けも作った。
この仕掛けで、夜 歩く人が草に足をひっかけるのです。
今思うと、これは悪趣味でした。
「 ごめんなさい(懺悔) 」

夕食をすませ、浴衣に着替え下駄をはき 出発です。
約15分ぐらいで着きます。
当時の夜は、辺りは真っ暗です。浅間神社が夜店の明かりで
別天地のごとく、明るく浮かび上がって見えた記憶をいまでも覚えています。
娯楽の少ない時代でしたので、多くの親子連れで賑わっていました。

参道に入ると、道の両側には種々の夜店が並び店の前は沢山の人がき。
今考えると、いささか怪しげな物もならんでいた。
でも良いんです、アセチレンライトに照らされた品々は、
少年の目には幻の様に、みな輝いて見えました。

その夜店のなかの「おもちゃ屋」で足が止まった。
そこには色々なおもちゃが所狭しと並べてあるのだが、
注目したのは「刀」日本刀のおもちゃであった。
ここからが問題である。
その「刀」に大小の2種類があり、上下に飾ってあるのです。

親父は云います
 「刀が欲しいのか? どっち(大小)が良いんだ?
私は考える迄もなく
 「大きい方が欲しいのです」
ところが
 「う~~ん・・・・」「それが言えないのです
言葉の代わりに出てくのは
 「ぽろぽろ流れる涙
親父は言います
 「どうした? 泣いてちゃ解らんだろう

いや、言えないですよ。
  こんな「悪ガキ」でも家の貧しさを知ってる故、言えないのです。
結局、私は
 「小さい方の刀」を指さしていました。
親父は言います
 「こっち(小刀)が良いんだな?
返事する私は
 「うなずく側から又、涙 涙


幼心の貧乏性と言ってしまえばそれまでだが。
この当時の「悪ガキ」の、ちょっと切ない侘びしい思い出です。
今、思い出しても 目がしらが熱くなります。
現在のお子さんは、こんな体験はないだろし、解らないだろうな。
そう考えると、現代は良い時代になりましたね~~。
親父世代に続き、私共「働き蜂」が頑張ったもん