無冠の父

今、読み終わった。
阿久悠の「無冠の父」
何か自分の父に対する想いを、書かれている事象と重ね合わせ「うん、そうだったな~」と思い出したり、改めて考えたりと普段にはない特別な時間が持てた本であった。

普段考えることのなかった「おやじと自分」。
私の父は無学(小学校もろくに行けなかった)であったようでとても苦労:努力して生きてきたそうだ。そんな昔のエピソードは後々大人になってからぼつぼつ聞き知った。いやあ真似できないよね凄いなと思い聞きました。
おかげで私たちはなんとか人並みの生活送ることできたわけだ、まさに感謝、感謝なのだ。
なのでこんなこと言ったら罰当たりなのだが、小学生であった頃の我が家にはいつも緊張感のようなものピンと張りつめたものが漂っていた。
余裕の様なものが無い、そこには「団らん」とか「父に甘える」というような状況が入り込む余地はなかった。
それが良いのか不幸なのかわからないが、現代の状況とはおよそ違っていたことは確かだ。
まあ戦後って大なり小なりどこもこんなものであったろうし、生きていくことだけで皆精いっぱいな時代であった。
ただ、そのなかであっても、私は悪ガキよろしく面白く生きてきたのだが。

この本のなかでこんな一説がある。
「迂かつにも私は、「父」に子供時代があり青春時代があったことを忘れていた。この世に生を受けてからずっと、あの顔で、あの性格であったと思っていた。大体、子供が見る親とは、そういうもので今も昔も親であったと思っているとろがある」

本当にそうなんだよな、私も「父」という存在は自分たちとは違う特別であり絶対的な存在と思っていた。

とろで、
私は子供から見たら
どうなのだろうか?