悪ガキの懺悔 ①

 今だから話せる
【下駄っ履での登校】

私の生年月日は昭和22年4月2日。
実際は4月1日生まれという説も、ちらっと小耳にはさんだ事がある。
なんでも4月1日生まれだと、一生馬鹿にされるからだとか。
本当のことは定かではない。

ただ、嫌だったことは当時は生年月日順で順番が決まっていたので、
何をする時でも「一番最初」なのである。
例えば「予防注射」など、なんで?と不満を根に持っていた。

また、この世代は「団塊の世代」と呼ばれている。
当時は「ベビーブーム」と呼んでいた様な記憶がある。
なんせ、1クラスの人数は60~70名。
垂れ幕こそ掛けないが、教室は 毎日「大入り満員御礼」の状態であった。

小学校は川越市立第4小学校(現在は名前は変更されているようだ)。
私の住まいは、その小学校の真裏にあった。
目と鼻の先、誠に近い。
最短距離は学校の正門から入らず、学校の土手をつっきるコース。
毎朝、おふくろの下駄をつっかけ、土手の鉄条網を潜り抜ける横断通学。
そして校内に入り、下駄箱に下駄をしまう訳だが、
私「悪ガキ」は、下駄箱より約3~4m手前から掃いたまま
下駄箱に向かって下駄を飛ばし、
その日の運命を「下駄入れで占い」楽しんでいた次第です。
今だったら大問題、問題児で鑑別所行きですね。

「 ごめんなさい(懺悔) 」

以上の様な、くだらん自分のゴシップ「悪ガキの懺悔」を、
うろ覚えに記憶に留めているうちにと、
ノンフィクション覚書として「懺悔:反省」の気持ちも込めて
シリーズで辿ってまいります。
しばしお付き合いの程、よろしくお願い奉ります。