貴乃花の乱「もめ損?」

世の中の感心を集めた「貴乃花の乱」。
昨日、臨時理事会で「貴乃花親方:理事解任」の提案で取りあえず年内は収束した。

この2か月半、私はこの事件を野次馬根性まる出しで毎日を追いかけていた。
最初は貴ノ岩の傷害事件でエッていう感じで感心をもって見ていたが、それに対しての貴乃花親方の対応が相撲協会に対して喧嘩腰的になり、「ウン?なになに」「どうした、どうした」と私も腰を乗り出し前のめりになってしまっていたのであった。

どうやら貴乃花親方は現在の「相撲界のあり方」にたして、これでは如何!と思うところがあり行動を起こしているのであろう。
今回もその一環。
日馬富士を引退させるより、白鵬の傍若無人な振る舞いに対して腹が立っており、それを放っておいている「相撲協会」に対して「これじゃあイカン」と考えていることが根底にあり、こういう対応になったのだろう。

私も同感である。
白鵬の、あの賞金をとる態度など、「なんだ、おまえ!」と思うことが度々。
それは国民性の違いなのかな?
外人力士への偏見が私の中にあるのかな?
しかしそれと云うのも、日本人力士が弱いから如何のだよな。
まことに不甲斐ない。

しかしこの度の貴乃花のネクタイ凄かったね。
「あそこまでピンと立てなくても」と思うのだが。
立ち向かう気持ちを表現しているのだろう。

年賀状のコピー

本日12月27(水)年末です。
だから?
ですよね、居候おやじの我が身には
特に何かをやらなければという事はありません。
つまり、いつもと一緒ということ。

しいて言えば年賀状を書くことぐらいかな。
それも余り気は進まないのだが・・・・・
まっ、暇つぶっし と言うことで。

それにしても白紙という訳にもいかない。
挨拶っぽい何かがいるのだ。

さっき図書館に向かう道すがら考えたのだが、

ふんわり ふわふわ
なりゆき 寄り添い
ぼつぼつ ぼつぼつ

ってな今の自分の生き様をコピーにしたのだが
如何なもんだろう?

 

本年最後のプール教室

今日は本年最後となるプール教室。
ここ最近の運動不足の解消のため勇んでプールに行きました。
ところが、あまり楽しいレッスンでありませんでした。

何時もの顔見知り仲間に軽く挨拶をしながらプールに入水。
ところがいきなりわめいてしまいました。
「エッ!なんだこれ」
プールの水が冷たいのです、いつもの温水プールの温度を下回っていたのでビックリ。「寒中水泳じゃあないんだからも~~。」っていう感じ。
どうやら昨日が休館日だったのでボイラーを止めていたので、今朝、冷水から沸かしたので温度が上がっていなかったことが原因だったようです。
いやいや、いきなりで戸惑いました。

次はレッスンの道具です。
私はビート板を使う練習が大の苦手です。
なぜって、ビート板を使うと体のバランスが崩れ私には負担になってしまうのです。
とろが今日は殆どがビート板を使っての内容でした。
まあ、一通り消化しましたが、腰回りに疲れがどんときました。
とにかくやれやれでした。

そんなこんなの最終日でした。
来年は1月6日(土)スタート。
水泳の上達は考えず、全身運動の一環のつもりで通います。


もの忘れと認知症の間で

人間だれしも歳を重ねると
至るとこにガタが来るものだ。
しかし、ここ最近の私は顕著だ。
もう至るとこがガタガタ。
その具体性は追々話すとして。

中でも物忘れは天下一品だ。
程度は人より著しく悪い。
とにかく覚えられないのだ。
それは若い時からだった。
歴史の年号、英語の単語などなど記憶力が必要な勉強は苦手、逃げて逃げて逃げまくって生きてきました。

そのもの忘れで現在悩んでいるのはテレビドラマを見ていてる時です。
登場人物の名前などが記憶できないのでストーリーについて行けなくなり、あれあれあれ~ってなもんで、情けない状況になってしまうのです。
まだドラマなら自分が困るだけですむが、あった人の名前を忘れてしまい真っ青な状況になったこともしょっちゅうです。
その事では、大変な場面をずいぶん潜り抜けてきました。

なので、プール教室においてもお仲間の名前は聞かないようにしています。聞いても忘れてしまうっては相手の方に失礼になるからです。
まあ言い出すと沢山の失敗談があります。
しょうがないですね、
こんな自分に付き合って生きていきます。

散歩のお供はラヂオです

ここ最近、真面目に散歩に行ってます。
しかも1日に午前、夕方の2回の日も結構あります。
時間的には合計すると1時間半位になります。
ただ腰の加減でゆっくりだけどね。
コースは家の前の堀川の川沿の往復です。

その散歩時に、役立っているのが「ラジオ」です。
NHKのFM放送を番組表を見て適当に見繕って録音しています。
その録音聴きながら散歩しているのです。
それなりに楽しいです。
今まではiPodを聴きながらでしたが、ラジオはそこに声が入るのでその声をなんとなく聞き入っているのですね、「気が付いたらここまで来てた」的な利点があるのです。

夜11時位の番組録音は録音をしたまま寝てしまいます。
電池が充電式ENELOOPなので気楽なのです。
それといろいろな情報も役に立つ時があります。
とにかく健康の為歩きます。

癒しの個人レッスン

今日は久しぶりにプール行きました。

久しぶりにしては濃い内容であった。
10時半から水中歩行。
11時から水泳レッスン。
12時から個人レッスン。

個人レッスンは「野尻先生」。
野尻先生の方針、考え方などがとても気に入っている。
では、癒しのそのフレーズをご紹介しましょう。
状況は
うまく泳げない時の私からの相談に対しての返答です。
「ボチボチ、ボチボチでいいんです、いい~んですよ。
自分のペースを大切に、細かいことなどは
適当、いい加減でいいんです、いい~んですよ。」
てな具合です。
運動神経が悪るくうまく泳げない私は、このフレーズで「うん、そうだよね。」と思い出しなんとか続けられています。

先生の究極の極意は「脱力」とのこと。
まあ「肩の力を抜いて」ってことかな。
考えようによっては「無の境地」。
考え過ぎですかね。


簡単、当たり前のようなことの中に大切なことがあります。
自分の生き方にも生かしていきたいものだ。
 


 

宗教って必要なのかな?

今、世界はエルサレム首都問題で揺れているが。
私には、聖地のことでここまで揉めるほどの大切さが実感として理解出来ません。
トランプさんは宗教というより福音派の支持基盤の取り込みでやっているようだが。

私には、そもそも宗教を信仰する意味、
宗教の存在意義がわかりません。
良い歳した老人がこんな青臭いことを言ってることが、恥ずかしい気もするが。
やはり私にはわからないな。
おまけに宗派対立で戦争にでもなったら、それこそ本末転倒だと思うけど。

そんな罰当たりな私、
実はお正月初詣も散歩がてら神社近辺には行きますが手を合わせ拝むということはしません。
理由ですか?
①拝むという行為自体に照れ臭い様なうすらかゆい様な抵抗感があること。
②「神頼み」という他力本願的な考えは虫が良いと思うこと
③他人(神)に縛られるのは嫌であること。
こんな理由からそう思うのだが、
単純に私には素直さがないからだろうか。

だけどアメリカ黒人教会のゴスペルソングは大好きです。
聴いたり見たりしていると自然に、それこそ魂が揺さぶられる様な高揚した気持ちになります。
これは宗教とは関係ないのかな?
でも「オー ジーザス・・・・」って言ってるけどな。
それと座禅は好きです。これは宗教ではないか・・・。

まあ何れにしても、何事もなるようになります。
大切なのは、神というより自分。
前を向いて楽な気持ちで歩いていくことが大切なのでは。